我が闘争の記録の一ページ(衰退した港町)

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産業の衰退、少子高齢化での衰退とか、色々の原因で、最早、運の尽きた感じだと、思いますね。何百隻も居た、マグロ漁船も今は、何隻かに成って来て、終いましたね。飲み屋街も人通りは、殆ど無い通りに成って終った模様です。元々は、他所から集まって来たマグロ漁船員で、栄えて来た街だから、仕方のな い事でしょうねー。やはり少子高齢化が、一番の癌でしょうねー。人間の身体には、右と左に善の保存庫、悪の保存庫が有り、悪を積み重ねて、悪の保存庫が満タンに成って終うと、運が尽きて、バッタンキューで、倒れて終うらしいですねー。明の照覧恐るべしアー恐るべし。ですねー。人生は勝負、勝か負けるかだ、勝つ事が大事です。相手が倒れたら勝ち、自分が倒れたら負けです。雨漏りのする家に住む事は、有っても、健康第一で、我が闘争の記録の一ページ(NO15)の戦いに臨んでいきましょう。兎に角、此処が戦場です。他所に行っても仕方ない事ですね。勝か負けるか、此処で勝負です。私は、昭和の時代に、遠洋マグロ漁船、16久保丸のペルー沖マグロ漁船沈没事件に、関与した事で、マグロ漁船には、乗船出来なく成って、結局、この町では、働く事も出来なく成って、関東地方に移住したから、この町からは、追い出された様なものでした。平成の時代になって、この町に帰って来ましたが、今、衰退して行く、この町を見ても、なんの感情も湧いては、来ないですね。