わが闘争の記録

我が闘争の記録NO16)のページの始まりは、今年の1月2日からです。マグロ船の時代からは、何十年過ぎたかは、余り気には、しなく成りました。家族からは、離れて終って居るから、自分の身の振り方は、自分で決める覚悟でやれば、案外、気楽に過ごせる人生だとも、思って居ますね。油断は排して、緊張の人生も、最近は、楽しいとも感じられる様に成って来た、この頃です。三類の強敵との戦いも、マダマダ一生、終わらないでしょうね。シキシマの大和男子は、これからもお付き合いのほど、宜しくお願いします。勝か負けるかの勝負には、勝つ事が大事です。負けない様に、頑張りますよ。

 

 

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我が闘争の記録の一ページ(勝か負けるか・勝つ事が大事)

 

もう直ぐに春が来ますね。関が原冬の陣も「俺の勝ちだな」で、終わりましたね。町に出て行っても、衰退して行く、この町は止めようが、無いでしょうかね―。宗教の事は、世間の出来事に、勝手な言いがかりを付けて、責めて来る。世間の出来事は、宗教に事寄せて、責めて来る。総体革命とか、何とか知らないが、知らない振りをして、見ていると面白いねー。東京でのストーカ街宣は、netでも見ますが。田舎にも、変な輩が群がって居るものです。昨日まで、3日間、高知市内に行って、来ました。親族の一人が斃れて居て、ヘリコプターで医療センター)に搬送されましたが、命はとりとめた模様でしたね。私も、健康第一で、我が闘争の記録NO16)のページを、マダマダ記して、行きますよ。

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わが闘争の記録(海上で親分、陸上でオネエ?はてな)

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今年も終わりに成りましたね―。今日は、サンシャインに行って、食料品、酒類、お正月用の御鏡餅、等の購入をして来ました。年末に成ると交通事故には、ご用心ですね―。私の友人だった人達も3人年末を挟んで、死亡して行きましたね。7年位前に成りますかねー、私のマグロ漁船の船員の先輩だった、EBさんは、宗教団体の会員でしたあが、良く一緒に、スナックに飲みに行ったり、私の家でお酒を飲みましたねー。しかし、高知市内のスナックのママに、「オーナに成ってや」との、甘い言葉に誘われて、EBさんは、自分の年金を担保にして、銀行から、200万円を借りて、スナックのママに、渡してしまった様ですが、それから、1か月位過ぎた、12月27日だったと思いますが、高知市内の電車通りで、19時頃に乗用車に跳ねられて、死亡しましたね。ママから私の家に電話が掛って来て、知らせが有ったけれど、1時間位して2度目の電話では、死亡したとの話しでした。EBさんも、宗教団体とか同和関係の事で、この町を追われて高知市内に行った事は間違いないですね。その頃迄、元マグロ漁船の船員の年金受給者が、ボロボロ死亡して行った時代でしたねー。あの頃は、政府の(年金100年大丈夫)と言う、広告が彼方此方に、掲げられて居ました時代でしたね。二人目の友人NKさんも、一緒にお酒を飲みましたが、私よりも若いけれども、亡くなりましたねー。3人目のSDさんは、私と小中学校の同級生でしたが、高知市内のホテルのお風呂場で、朝、従業員が入って行くと、死亡していましたね。私も、飲み屋のママから「アンタは、○○○○に入って無いから、必ず自殺するから、私の家で一緒に住まない」と、迫られた事も有ったけれど、私は、「一人で居る方が安全だよ、女は怖いから、3か月間でも、トリカブトを飲まされると、半年殺しで棺桶だ」と内心思いましたよ。御断りしましたね―。高知市内の居酒屋に夕刻7時頃入って、焼酎の水割り3杯飲んで、の便所に行こうかと思い、カウンターのボックスから立ち上がると、足が立たず、座り込みましたね。私は内心「ヤラレタな」と、一瞬思いましたねー。居酒屋のママの義弟が、有る政党の市会議員でしたね。確か私と同じ年でしたから、今は、やってません。私も、自分の命を惜しむ訳では、有りませんが、(ヤラレタらやり返せ。自分が殺されると思ったら、先に相手を殺せ)の心情は持って生きて居ますね―。昔の作家、平林たい子女子の本の巻頭言に、(敷島の大和男児の行く道は、赤い着物か白い着物か)の言葉が有りましたが、刑務所に入るか、棺桶に入るかが、日本男児の行く道でしょうねー。年末年始は、油断する事無く、楽しい年末を過ごしますよ、

 

 

 

 

 

 

 

 

我が闘争の記録(三類の強敵とは宗教関係と同和関係?)

私が、昭和の時代に、マグロ漁船K丸に置いて、保険金目当ての沈没事件に遭遇した後に、有る人の紹介で、某宗教団体に入会した訳で有りますが、考えて見れば、目的は何年後、高齢になった時に、組織で監視しておれば、何時でも追い込みが、掛けられると言う事情も、有るんじゃないかと考えましたね。そして私の父親が同和地域の人間だと言う事を他人にバラスと言う事で、忠誠を誓えと言う意味が、あったんだとも居ますね。日本に帰化した人も多い団体ですから、同和関係を差別する事も当たり前でしょうねー。この宗教団体の元幹部だった、人達の書いた本も、何冊か購入して、読みましたが、金の出せない人には、用事は無いと言う事だと、私は感じましたね。今年、御寺から退会届を出した訳ですが、どちらも同じ穴のムジナ見たいなものだと、最近、感じていますね。世の中、お金の時代です。裏社会でも、最近は、盃よりも上納金だと、囁かれているこの頃です。出せない人間は、除籍になって終うと、netでも囁かれています。宗教関係の人達も、如何にして、金を吐き出させるかに、今は集中しているんじゃないでしょうかねー。私も、来年は、77才に成りますね。宗教に縋りついて、長生きする気持ちは、無いね―。縋りついて来た人達も、全ての人が長生き出来て、居る訳では、無いでしょう。11月は、私の決断する月でしたので、宗教関係からは、退会すると決断しましたね。このような状況も、私の我が闘争の記録の一ページです。

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我が闘争の記録の一ページ

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我が闘争の記録の一ページには、1975年から始まった、保険金目当ての、ペルー沖、マグロ漁船沈没事件から始まり、海上保安庁への自首出頭した事から、始まりましたが、私のその時の職務は、初めての漁労長)で乗船して、「よし今からだ」と、将来に、希望を持って、北大西洋ラスパルマス港、を基地として、日本を出港して、行きましたね。しかしながら、保険金目当ての艦船沈没事件に遭遇して、私の将来は、閉ざされたと言う事ですね。今でも、田舎の町では、村八分状態ですが、自分自身では、孤独の人間じゃ無いと、思っています。「俺は、孤高の人間だ」と、思って居ますね。私に対して、「貴方は、必ず自殺する」と、言った、人達も居るけーれどねー。私は、人生は、勝か負けるかの勝負だ、勝負は勝つ事が大事だ。一生、此処で勝負だ。と思って、我が闘争の記録のページを、記録していますね。
 
 
 
 

我が闘争の記録の一ページ(衰退した港町)

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産業の衰退、少子高齢化での衰退とか、色々の原因で、最早、運の尽きた感じだと、思いますね。何百隻も居た、マグロ漁船も今は、何隻かに成って来て、終いましたね。飲み屋街も人通りは、殆ど無い通りに成って終った模様です。元々は、他所から集まって来たマグロ漁船員で、栄えて来た街だから、仕方のな い事でしょうねー。やはり少子高齢化が、一番の癌でしょうねー。人間の身体には、右と左に善の保存庫、悪の保存庫が有り、悪を積み重ねて、悪の保存庫が満タンに成って終うと、運が尽きて、バッタンキューで、倒れて終うらしいですねー。明の照覧恐るべしアー恐るべし。ですねー。人生は勝負、勝か負けるかだ、勝つ事が大事です。相手が倒れたら勝ち、自分が倒れたら負けです。雨漏りのする家に住む事は、有っても、健康第一で、我が闘争の記録の一ページ(NO15)の戦いに臨んでいきましょう。兎に角、此処が戦場です。他所に行っても仕方ない事ですね。勝か負けるか、此処で勝負です。私は、昭和の時代に、遠洋マグロ漁船、16久保丸のペルー沖マグロ漁船沈没事件に、関与した事で、マグロ漁船には、乗船出来なく成って、結局、この町では、働く事も出来なく成って、関東地方に移住したから、この町からは、追い出された様なものでした。平成の時代になって、この町に帰って来ましたが、今、衰退して行く、この町を見ても、なんの感情も湧いては、来ないですね。

 

 

我が闘争の記録の一ページ(三類の強敵は芋だね)

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宗教団体に入っている人材(活動家。工作員)と、言われる人達は、所詮、一人に成れば、何も出来ない人達ばかりです。何も出来ないから、団体に入るんでしょうねー。団体に入れる話も、自分より上だと感じる人には、何も言えないですね。相手が、落ち込んだ生活に成った時には、「待ってました」とばかりに、話しに行きますね。そんな時に、{入っては駄目ですよ」。私も、経験は有りますが、カルト宗教の男性が、私の家に来て、私の事を陰で言う人が、沢山居ると言う話しを、して来たので、私は、「後ろから言わんで、前から来て欲しいのう」と言った処、相手は「それやったら、わしと差しで、勝負して見るかよ」と、言って来ましたね―。私も、「この馬鹿親父、何を言ってさらすんじゃい」と、心の中で思いながら、「おまん、○○宗教団体に、しがみ付いて生きて来て、組織が付いてるから、そんな事が、言えるんじゃないかのう。○○宗教団体を脱退して、一人に成ってから来て、その言葉を聞きたいのう」と言うと、その侭帰って行きましたね。3か月後、宗教団体の会館で、会った時には、何処かを、手術したとかの話しで、身長は短くなり、松葉杖を突いて居ましたね。人生は勝負、勝か負けるかです。宗教団体にしがみ付いて、生きるよりは、我が人生を行くを、私は選びました。「世間などなんだ、言われたら言い返せ、やられたらやり返せ」男は、こんな気持ちも大事でしょうね。